A Fickle Child Psychiatrist

ー移り気な児童精神科医のBlogー

子どものADHDと大人の「ADHD」 —ダニーディンのコホート研究から—

 このツイートに対する反響が思ったより大きかったので、ちょっと記事にまとめてみます。

   そもそもこの研究は単独でなされたものではなく、大規模な追跡研究の一部として行われています。近年ではその科学的な堅牢性から横断面での研究や回顧的な研究よりも、特定の集団をずっとフォローしていく追跡研究(前向きコホート研究)が重視されるようになっており、各国で大規模な追跡研究が行われています。有名な子どもの大規模コホートとしては、ALSPAC (英国)や グレートスモーキーマウンテン研究(アメリカ)などがありますが、今回取り上げる論文の母体となった Dunedin Multidisciplinary Health and Development Study も、研究デザインがしっかりしており、規模も大きく、専門家からも高く評価されている研究の一つです。

 1972年4月から1973年3月までに、ニュージーランドのダニーディンという町で産まれた全ての子ども(1037人)を、数年おき(各3, 5, 7, 9, 11, 13, 15, 18, 21, 26, 32, 38歳)にずっと追跡してインタビューなどの幅広いデータ収集を行っています。海外に住んでいる研究対象者には帰国のための旅費を支給して、帰省がてら研究に参加してもらうという徹底ぶり。余談ですが、筆者はこのコホートの対象者と完全に同世代なので、この研究には以前から親近感を持っています。中間報告は日本語にも翻訳されています。高いのでなかなか手が出ませんが……。

 

ダニーディン 子どもの健康と発達に関する長期追跡研究―ニュージーランドの1000人・20年にわたる調査から―

ダニーディン 子どもの健康と発達に関する長期追跡研究―ニュージーランドの1000人・20年にわたる調査から―

 

  前置きが長くなりましたが、今回紹介する論文は、この大規模研究の一部として行われた、子どもと大人のADHD診断に関する報告で American Journal of Psychiatry という、業界内では定評のある雑誌に掲載されています。

 子ども時代のADHD診断は、対象者が11歳、13歳、15歳の時に、当時用いられていた DSM-III の基準に基づいて行われています。一方、大人のADHD診断は38歳時点で、DSM-5の基準に準拠した構造化面接により行われました。ただしこの診断面接を行った研究者は、バイアスを避けるために以前のADHD症状についての情報は知らされていません。このためもあり DSM-5 のADHDの診断基準の一部である「12歳になる前から症状が存在」と言う項目は考慮に入れずに評価されています。ここがこの論文の重要なポイントです。

 

  さてその結果ですが、研究対象者のうち子ども時代にADHD診断を受けたのは 6.0% (61人)、大人のADHD診断を受けたのは 3.1% (31人)という結果でした。これはおおむね他の研究の数字と一致していると言えるでしょう。

 ここからがこの研究の興味深いところなのですが、子どもの頃にADHD診断を受けた61人のうち、成人期にもADHDの診断を受けた人はわずか3人しかいませんでした。逆に成人期に ADHD の診断を受けた31人のうち、少なくとも27人は子どもの頃にADHDの診断を受けていません。更に子ども時代に収集された学校の先生からの報告でも、ADHDの症状が報告されている人はわずかしかいませんでした。

 更にこの研究では、親による回顧的な報告についても評価されています。研究対象者の親に子どもの頃のことを思い出してもらったところ、成人期にADHD診断を受けた人のうち 23% では12歳以前にADHDの症状があったことが報告されました。逆に子どもの頃 ADHD 診断を受けていた子どもの親のうち 77% は子ども時代のADHD症状を忘れていました。

 

 これらの結果からは子どもの頃にADHDと診断された人たちと、大人になって症状を持っていると判断される人は、あまり重なっていないことがわかります。以前から言われているように、子どもの頃にADHDの症状を持っていた人達であっても、年齢と共にその症状が見られなくなっていくことは珍しくありません。これは講演などではよく Biederman の古典的なデータなどを使って説明されていますね。またこの研究の対象者の中には、子ども時代にADHDの治療薬を服用していたケースはなかったとされています。当時のニュージーランドでは、ADHDの薬物療法は普及していなかったということのようです。つまり、当たり前ではありますが、薬物療法なしでも症状は消退していくということになりますね。

 その一方で子どもの頃にはADHD症状を示していなかった一群が、大人のADHDとして立ち現れてくることは少なくないのでしょう。そして関係者の想起のバイアスも関係して、厳密には診断基準を満たしていないにも関わらず大人のADHDの確定診断を受けることも充分にありうる、ということなのかもしれません。

 この研究ではこの他にも知能検査などの認知心理学的な検査の結果や、遺伝的なリスクの評価、性別の比率などの多くの点で、子ども時代のADHDグループと成人期のADHDグループは(もちろん一部は重なるにせよ)異なる集団であることが示唆されています。

 

 この研究と同様の結果が他の研究でも再現されてくるようであれば、今後、成人の診断基準の見直しや、そもそもの疾患概念の再構築などが求められることになります。大人になってから現れてくる「ADHD」は、子どもの ADHD とは別のカテゴリーの疾患として、定義しなおした方がよいのかもしれません。もし治療への反応性などが違うとすれば、ここを分けていくのは大切なポイントになります。

 前述したように、既に他にもいくつかのコホート研究が走っていますし、追試的なデータも出てくることが期待できます。また子どもと大人の ADHD の類似点や差異についての研究も、一層たくさん行われることも予想されます。いずれにしても続報待ち、ということになるでしょうか。

 

 ここから先は、ちょっと放言めいた話になるのですが、もし成人期発症の「ADHD」が子どものADHDとは別の疾患であるとしたら、それは発達障害なのでしょうか。これはそもそも発達障害をどのように定義するか、ということにも繋がってきます。DSM-IV-TRまでは7歳までに症状が存在するというのがADHDの診断基準だったのですが、 DSM-5 ではこれが12歳までに引き上げられています。これにもいろいろな研究の裏付けがあったりしますが、日本の(子どもの)臨床家はこれに違和感を持っていた人が多いような気がします。ひょっとするとそれは、子どものADHDと大人の「ADHD」の違いに、言語化されないままに気づいている人達がいたということなのかもしれません。今回の論文なども受けて、更に年齢上限が引き上げられるのか、それとも別カテゴリーになるのか、どうなっていくのかが気になるところです。

 

 自閉スペクトラム症の場合でも DSM-5 の診断基準には、C項目に

(しかし社会的要求が能力の限界を超えるまでは症状は完全に明らかにならないかもしれないし,その後の生活で学んだ対応の仕方によって隠されている場合もある)

という一文が追加されています。これに従うと顕在発症の時期は必ずしも乳幼児期ではない、ということになりますね。また最近では統合失調症の「神経発達障害仮説」ももはや仮説の域を脱しつつあるようにも感じます。統合失調症の発症前からワーキングメモリーの機能障害をはじめとした小さな変化は始まっており、特に早期発症の事例では、それに先行していわゆる発達障害の症状が高い頻度で見られることもわかっています(Lapaport 2009)。

 

 このように見ていくと、発症時期で疾患を分けることの意義は、乏しくなってきているのかもしれません。実際、DSM-IV-TRの時代には『通常,幼児期,小児期,または青年期に初めて診断される障害』という大カテゴリーがあったのですが、DSM-5ではこれは解体されてなくなってしまいました。子どもと大人のADHD症状が、同じものなのか違うものなのか、分けることに実利があるのかないのか、これから研究を重ねていかないといけないのかもしれません。

 

 

 

 気がついたら1年以上ぶりの更新でした。それでも読みに来て下さった方、ありがとうございます。これからはもうちょっと頑張って更新します……と、何回書いたかな。