A Fickle Child Psychiatrist

ー移り気な児童精神科医のBlogー

スペクトラムとグレーゾーン

 本当はこの記事のタイトルはカテゴリーとディメンジョンにしたかったのですが、純粋にアクセス数を稼ぐために、上記のタイトルとなってしまいました。先に謝っておきます、ごめんなさい。

 

 それはさておき、昨日ここから始まる連続ツイートをさせていただいたのですが、長くなり読みにくくなってしまったので、若干補いながらブログエントリにまとめようと思います。

 

 そもそもスペクトラムとは

 発達障害児者支援の周辺では、連続体、一続きであることを意味する「スペクトラム」という用語がよく使われます。自閉症スペクトラム障害、自閉スペクトラム症などの診断名の中に混じって出てくることが多いのですが、そこから更に広がって多様な使われ方をしています。

 

 これを歴史的にたどっていくとなかなかややこしいことになるのですが、誤解を恐れず雑にまとめると、当初は古典的な自閉症を中心に関心を持たれていたのが、次第にアスペルガー症候群や特定不能の広汎性発達障害など、より多様な現れ方をしている人たちにもその関心が広がりました。そして本質的な部分でそれらの障害も古典的な自閉症と連続性があるということを強調するために、スペクトラムという表現が使われるようになり、その後、更にその視野がいわゆる定型発達、診断の境界線に達しない人たち(診断閾値下の人たち)にまで広がったと言っても、大きな間違いはないでしょう。

 

 そして今やスペクトラムという便利な用語は自閉症のグループに限らず、他のいわゆる発達障害や、統合失調症スペクトラム、双極性障害スペクトラム、強迫スペクトラムというように、他の多くの領域で日常的に使われるようになってきました。知的能力の障害もある意味でスペクトラムと言えるでしょう。

 

ではグレーゾーンとは?

 スペクトラムの概念、特に診断閾値下にまで広がるスペクトラムの考え方は、当然「グレーゾーン」という概念に繋がります。「診断基準には到達しないけれど似たような特性を持っている人」の存在が、意識されるようになってきます。実際には現在、発達障害のグレーゾーンであると自分で言ったり、そう呼ばれたりする人たちの中には大雑把にわけて以下の3種類の人たちがいます。

  1. 医療機関を受診すれば、診断がつく可能性が高いが、受診を待っている、ためらっている人
  2. 医療機関を受診していたとしても、厳密な診断基準を満たさない人
  3. 主に大人の場合など、横断面ではいかにも診断基準を満たしそうだが、充分な情報が得られないために確定診断ができない人

 このようにグレーゾーンには様々な特性の度合いの人が混じってくるので、実際の支援を考える場合には注意が必要です。このなかで真のグレーゾーンといえるのは2に該当する人と言えるかもしれません。また3に該当する人をあえて確定診断する医療機関も存在します。このことの善し悪しについては議論があるところですが、実際的ではあると言えますね。

 

 特性のグレーゾーン

 発達障害をあえて一つ一つの特性にわけて考える立場からは、一つ一つの特性のグレーゾーンという考え方が出てきます。

https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1186%2Fs12888-014-0302-z/MediaObjects/12888_2014_Article_302_Fig1_HTML.jpg

これは自閉スペクトラム症の特性の一つであると考えられている社会的応答性(social responsiveness)を評価する尺度を日本人の大人に使ってみたときの得点分布です*1。右端の方の高得点の人は特性が非常に強く診断ができる可能性も高い人たち、左端の点数が低く数の多い人が多数派の人たちとなります。そして真ん中だがやや右寄りの人たちはあえて言えば、グレーゾーンとも表現できます。

 このように発達障害を形作る一つ一つの特性に関して「グレー」を想定することは可能です。あえて言えば「線のグレーゾーン」と言えるでしょうか。この場合、特性の強さ、弱さがポイントになります*2

 

カテゴリーのグレーゾーン

 もう一つのグレーゾーンの考えた方はカテゴリー的な「面のグレーゾーン」です。

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  自閉スペクトラム症の診断基準全体を満たす人(中核群)の周辺には、その診断基準の一部を満たす人、特性の一部を持つ人がいて「広域表現形」と呼ばれたりします。さらにはその外側に「非障害性」を想定する研究者*3もいます。この場合、仮に一つ一つの障害の特性は充分強くても、他の特性がそれほどでもなかったり、診断基準の他の部分(発症年齢など)にあわなかったりすると、中核群ではない、と判断されることにもなります。

 こちらはカテゴリーに入るかどうか、が大事になってきますね。

 

障害特性と困り方

 発達障害周辺のお話しをしていると、おそらく多数派であると思われる人から「そんな特性は自分にもあるよ」と言われたり、「誰にでもあることだから気にしなくてもいいよ」と言われたりすることがあります。これはおおむね善意から出てくる共感の表現なのですが、当事者や周囲の人からするとつらく聞こえることもあります。なぜこんな行き違いが起こるのでしょうか。これは「線のグレーゾーン」と「面のグレーゾーン」を考えるとなんとなくその理由が見えてきます。

 確かにいわゆる発達障害の特性は誰にでもあるというのは、絶対に間違いであるというわけではありません。ただ一つ一つのいわゆる障害特性は小さく、誰にでもあるように見えても、同じ特性が高い頻度、程度で生活に影響したり、複数の特性が重なって顕れたりするとその様相はずいぶん変わって、困り方にも足し算的な効果やかけ算的な効果が出てきます。

 

 例えば自閉スペクトラム症の特性として診断基準上、社会的コミュニケーションの困難と常同的・反復的な行動が上げられますが、この二つが揃うことで初めて顕れてくるいかにも「自閉症らしい」困り方というのがあります。それがどちらか一つだと困り方の様相は少し変わってきたりします。やや不正確な表現ですが、どちらか一つだけが見られる場合、診断名も変わります*4

  ADHDの場合も同じで、診断基準を満たす項目数(例えば子どもでは9項目中6項目、大人では5項目)などが少なければ、保たれている部分を使ってリカバリーできる機会も増えるので、困り方が変わってきたりします。自分の場合は、これがADHDの診断のために一定数以上の診断項目を満たすことが要求される一つの理由だと思っています。

 

発達障害同士の「併存」と「グレーゾーン併存」

 発達障害はよく併存しやすいと言われます。自閉スペクトラム症とADHD両方の診断を受けている方は珍しくありません。研究のレベルでもその併存は非常に多いとされています。

 これまでの議論でわかるように、複数の特性が併存を重ねていくとその困り方は変わってきます。特性が加わるごとに、足し算的、かけ算的に困りごとが増えてくるのです。発達障害の診断で一つだけを診断して、他を見落とすことのもったいなさはここにもあります。

 しかし難しいのはこんな場合です。一つの発達障害が疑われている、もしくは診断が確定している人が、自分には他の発達障害(や他の精神疾患)の特性、症状もある、だから併存しているはずだ、診断して欲しいと希望されることがあります。この時にもいくつかのパターンに分けられます。

  1. 診断基準を満たす複数の発達障害等が存在する場合
  2. 1つの診断基準を満たす発達障害と「グレーゾーンの併存症」がある場合
  3. 1つ1つを見ればグレーゾーンの特性がたくさん重なっていて、一つも確定診断ができないけれど、困り方は大きい場合

 1は迷う理由はないので、問題は2のパターンとなります。一つの発達障害があることで、他の特性は例えグレーゾーンであってもそれをカバーすることが難しくなり、困りごとが増幅している場合です。これを厳密に1つだけの診断とするのか、困り方の実態をみてあえて「誤診」して2つ以上の診断名をつけるのか、この考え方は医師によって様々です。どちらがよいとも言い難いところがあるので、難しい問題となります。

 もっとややこしいのは3の場合です、確定診断できるほどではない特性が多く見られ、それ故に明らかに困っているが、基準を考えると……となります。これも良くも悪くも、最終的には医師の裁量に委ねられていると言えるでしょう。

 

 発達障害には確かに併存がよく見られますが、特に成人例などでは、科学的に予想される以上に併存が意識されています。そこにはこんな背景もあるのかもしれません。そもそもよく使われている DSM-5 という診断の体系は多くの併存症をあわせて診断していく中でその人の困り方を記述したり、時にはそれを治療法の開発に繋げていこうという思想をおそらく持っています。併存症を診断しやすい構成になっているともいえるでしょうか。

 

 さてここまでいろいろ書いてきましたが、結局最後にいいたいことはここに戻ってきます。

 

 多少なりとも皆様が考えていただくときのご参考にしていただけましたら幸いです。

 

蛇足:カテゴリー診断とディメンジョン診断

 ここからは関心のある方向けの蛇足です。いろいろ書いてきましたが、スペクトラムやグレーゾーンを巡るいろいろな人たちの混乱や対立は、意外とこんなところに根っ子があるのではないかと思います。「面のグレーゾーン」と「線のグレーゾーン」を意識していただくことで、少し物事の整理がよくなるかもしれません。

 診断という観点で言うと、わっかを作ってその中に入る人を診断していく「カテゴリー診断」という考え方と、いろいろな評価の軸を用意して、放射線状に広がる中にレーダーチャートのようにパターンを見ていく「ディメンジョナル診断・評価」という考え方があります。

 カテゴリー診断では、その人を表す「点」がわっかの中に入るかどうかというのが大きなポイントであるということになってきます。代表例はよく使われている DSM-5 ということになりますね。

 一方でディメンジョン診断の方は、凸凹した「星」の形そのものが関心の対象になると言ってもよいでしょうか。その試みとしては以前にもこのブログでご紹介した RDoC などがあります。

 

 現在、研究の大きな方向としてはカテゴリーからディメンジョンへの流れはありますが、ディメンジョン的な評価を日常の精神科臨床、ましてや教育、福祉や行政の領域で使うのはかなりの負担増となります。

 カテゴリー的な思考、例えば「発達障害」と「定型発達」の対比などは確かに不正確なのですが、コミュニケーションの成立という点では効率的で、おそらく人間の脳の構造に馴染んでいるとも言えるでしょう。カテゴリーもディメンジョンも上手く使っていけるとよいのかなと思います。

 

 

*1:Takei, R., Matsuo, J., Takahashi, H., Uchiyama, T., Kunugi, H., & Kamio, Y. (2014). Verification of the utility of the social responsiveness scale for adults in non-clinical and clinical adult populations in Japan. BMC Psychiatry, 14(1), 302. http://doi.org/10.1186/s12888-014-0302-z 

*2:特性の強さ、弱さは連続性のあるものなのですが、ある閾値、ラインを越えると途端に現れ方がかわることがあります。例えば -5℃ の水(氷)と 0℃ の水(氷水)と 5℃ の水は、温度という尺度では連続性がありますが、その現れ方は全くかわります。これと同じように障害の特性も連続性はあるがある一定のラインを越えると困り方ががらっとかわるということもあるのではないかと思っています。

 ここに大気圧の変化が……とか言い出すとややこしくなりすぎるので止めた方がよいと思いますが、周囲の環境によって困りごとの現れ方も変わるというアナロジーではありますね。

*3:本田秀夫先生とか。参考

自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体 (SB新書) 

*4:社会的(語用論的)コミュニケーション症と常同運動症