A Fickle Child Psychiatrist

ー移り気な児童精神科医のBlogー

アスペルガー症候群をもつ被告人による実姉刺殺事件についての大阪地裁判決

2011年7月に、自宅を訪ねてきた実姉を刺殺したとして、殺人罪に問われていた被告人に対して、2012年7月30日、大阪地裁の裁判員裁判で、検察側の求刑懲役16年に対して懲役20年の判決が言い渡されました。被告人は大阪地検での精神鑑定により、アスペルガー症候群であると診断されていました。

 

この判決については、新聞各紙でも大きく取り上げられ、また種々の団体が談話や声明を発表しています。ネット上でも大きな話題になりました。この判決に関連する論点はいくつかありますが、ここで整理を試みてみたいと思います。

 

 自分の思いつく論点としては、下記のようなものがあります。

 

①求刑以上の判決となった理由の適否

②犯した罪に対する量刑の軽重

③現在の「社会の受け皿」の評価

④弁護の態勢、戦術

 

それぞれの論点は完全に切り離せるわけではありませんが、あまり混ぜてしまわない方がよいのではないかと感じています。

 

①求刑以上の判決となった理由の適否

 判決要旨には以下のように書かれています。 

被告人の母や次姉が被告人との同居を明確に断り、社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもないという現状の下では、再犯のおそれが更に強く心配されるといわざるを得ず、この点も量刑上重視せざるを得ない。被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する。
( 判決要旨 (山本真理さんの公開して下さったもの)より)

最大の問題点はこの量刑理由にあります。これについては日本弁護士連合会による批判が、もっとも要を得ていると思います。

第1に、犯行動機の形成過程及び犯行後の情状に精神障害の影響を認定しながら、これを被告人に不利な情状として扱い、精神障害ゆえに再犯可能性があることを理由に重い刑罰を科すことは、行為者に対する責任非難を刑罰の根拠とする責任主義の大原則に反する。社会防衛のために許される限り長期間刑務所に収容すべきだという考え方は、現行法上容認されない保安処分を刑罰に導入することにほかならない。
( 日弁連:発達障害のある被告人による実姉刺殺事件の大阪地裁判決に関する会長談話 より)

つまり、とりあえずは量刑の多寡は横において、障害があること、再犯の予防などを、刑を重くする理由として採用することは、現行法上許されていない、ということでしょう。なぜそのような論理構成になってしまったのか、それは裁判員裁判であるが故なのか、とかいろいろと考えたくはなりますが、ともあれ今回の判決に対する批判はここを中心とすべきだと思います。

 

②犯した罪に対する量刑の軽重

さて、理由はともかくとして、この懲役20年という量刑が不当に重いものであるのか、この評価は自分にとっては極めて難しいものです。応報刑的な観点から評価する場合に、手掛かりとなりそうなのは、判決要旨のこの一文です。

被告人や関係者等を直接取り調べた上で本件行為に見合った適切な刑罰を刑事事件のプロの目から検討し、同種事件との公平、均衡などといった視点も経た上でなされる検察官の科刑意見については相応の重みがあり、裁判所がそれを越える量刑をするに当たっては慎重な態度が望まれるというべきである。
( 判決要旨 (山本真理さんの公開して下さったもの)より)

つまり裁判所としても、懲役16年という求刑は同種事件と比べて著しく公平を欠くものではないと認定しているようです。このあたり参考にすべきデータも入手できていないのですが、最近の発達障害と診断された引きこもり状態の被告人に対する判決を二つご紹介しておきます。

奈良地裁 懲役10年(殺人 母を殺害)MSN産経ニュース

名古屋高裁 懲役30年(殺人、放火ほか 父、めいを殺害 他3人を傷害)毎日jp

(殺人の有期懲役刑の上限は20年だが、加重により30年となっている。)

 

もう一つ検討すべきなのは、目的刑的な観点、特に特別予防論的な観点から、懲役16年に比べて20年は、より再犯防止という目的にかなうのか、ということでしょう。 

被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する。
( 判決要旨 (山本真理さんの公開して下さったもの)より)

このように判決は長期間の収容により内省が深まることを期待しています。後段の「社会秩序の維持」が余分ですが、これはこれで一つの論として成立しています。これに対する批判としては、これが挙げられるでしょうか。

被告人が反省へ至るためには、アスペルガー症候群特性を熟知した上で彼を支えようとする人々との信頼関係が、まず樹立されねばならない。にもかかわらず、日本の刑事施設には、アスペルガー症候群を有する受刑者のためのスタッフやプログラムは存在しない。そのため、刑務所への単なる収容を長期間にわたって続けることは、予防拘禁以外のなにものでもなくなる。
( 日本児童青年精神医学会:大阪地裁判決に関する緊急声明 より)

医療刑務所などもあるわけなので、プログラムが「存在しない」とまで言い切ってよいのか、ちょっとためらうところはありますが、医師の立場からはおおむねそのように見える、とは言ってよいかと思います。日弁連の見解もほぼ同様です。

第3に、刑事施設における発達障害に対する治療・改善体制や矯正プログラムの不十分な実態からすれば、長期収容によって発達障害が改善されることは期待できない。
( 日弁連:発達障害のある被告人による実姉刺殺事件の大阪地裁判決に関する会長談話 より)

この点については、再犯予防のために他に有効なプログラムがある、ということを示さなければ、有効な反論にはなりがたいかも知れません。ただし目的刑的に長期収容を選択するのであれば、その有効性を示す根拠はより強固なものが求められます。

 

③現在の「社会の受け皿」の評価

ここも判決が批判を受けているポイントです。前に引用したのと同じ部分ですが、判決はこのように述べています。

被告人の母や次姉が被告人との同居を明確に断り、社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもないという現状の下では、再犯のおそれが更に強く心配されるといわざるを得ず、この点も量刑上重視せざるを得ない。被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する。
( 判決要旨 (山本真理さんの公開して下さったもの)より)

これに対する反論も多数なされています。ここでは罪を犯した障害者の地域生活支援などについて先進的に取り組んできた長崎の南髙愛隣会などが中心となって運営指定『共生社会を創る愛の基金』の意見表明をご紹介します。

「受け皿」はある 判決は「両親が同居を望んでいないため障害に対応できる受け皿が社会の中にないし、その見込みもない」と述べますが、発達障害者支援センターをはじめ福祉施設や地域の福祉サービス提供事業所の支援を受けて、親から独立して地域で暮らしている発達障害者は大勢います。罪を犯した障害者についても、社会復帰を支援する地域生活定着支援センターが昨年度には全都道府県に設置されました。
共生社会を創る愛の基金:大阪地裁判決についての意見表明 より)

ほとんどの反論は、発達障害者支援センター、地域生活定着支援センターの整備などをその根拠としています。ただし地域生活定着支援センターの整備や運営の状況にはかなり地域差があることも確かであるようです。このため何の工夫もなく「受け皿がある」ことを、裁判所や裁判員に認めてもらうことは確かに難しいと言わざるを得ないのではないでしょうか。

長崎県では、知的障害をもつ累犯者に対し、地域生活定着支援センターでの支援を受ける態勢が整ったことで、検察が執行猶予を求刑したという事例もあったようです(参考リンク)。

 

④弁護の態勢、戦術

では「受け皿がある」ことを、この裁判で証明するためには、どのような方法があったのでしょうか。弁護側が先の長崎の事例のように、被告人の受け皿を実際に整備し、それを示すことができれば、それはある程度証明可能です。

ここで弁護態勢の問題が出てきます。この事例では本人におそらく資産はなく、判決要旨にも示されるように、家族の処罰感情も強いことなどから、必然的に国選弁護となったのだと思います。これについて弁護士である高島章氏がツイートしています。ちなみにこの件に関する高島氏のツイートを中心にまとめられた togetter もたいへん興味深い内容でした。

この点について評価する能力は自分にありませんが、家族の協力が得がたい中(事件の性質を考えればそれは当然ですが)、一人の国選弁護人が(安い報酬で)担当できる業務量に限界があったことは容易に想像できます。法廷内のことだけを考えても精神鑑定の絡む複雑な事件であり、ましてや「受け皿」を求めて動くことまで国選の弁護人1人に求めることは酷でしょう。

せめて法廷内で、地域生活定着支援事業 という取り組みなどがなされており、今後受け皿を用意できる可能性があるという主張くらいはして頂いていたとは信じたいですが、それだけでは「受け皿がある」という証明として受け取られない可能性があるのは前に指摘した通りです。

裁判員裁判の国選、まして精神鑑定の絡むような複雑な事件、家族などの支援の乏しい事件については、複数の弁護人がつくことを原則にして頂いてもよいように思います。

 

以上、思いつく論点を順にあげてみましたが、自分の見解としてまとめると、

 

・刑を重くする際に、情状として障害や受け皿の不足を理由にすることは、現行法上、許されない。

 

・この事件について、懲役20年がはたして長いのか短いのかについては、自分には判断が困難である。

 

・この事例では裁判のなかで、おそらく「受け皿がある」という説得力のある証明はできていなかった。またそれができる態勢ではなかった。

 

ということになるかと思います。今後自分たちの取り組むべきことは、一つには実証性を持った更生プログラムを開発していくことでしょう。これについては少年の場合では 浜松医科大学のプロジェクト などいくつかの取り組みがなされています。成人についても海外の事例なども参考にしながら、整備を進めていく必要があるでしょう。医療観察法の病棟にも、本来は対象とされていないようですが、結果として発達障害を持つ人が入院しているとされています(参考リンク 入院対象者にF8が含まれている)。こうしたところからも有用な知見が得られるかもしれません。

 

もう一つの課題は、裁判の際の情報提供となるでしょうか。

アスペルガー症候群を含む発達障害を有する人の裁判員裁判においては、裁判員に対する正確な医学的知見と社会福祉的情報の提供が不可欠である。当学会は、本件判決の誤りを正確な知見・情報をもとに控訴審がただすことはもとより、不幸にも発達障害者が被告人となったすべての裁判において、裁判員に正しい医学的・社会福祉的情報が提供されるよう求めるものである。
( 日本児童青年精神医学会:大阪地裁判決に関する緊急声明 より)

これについては、特に時間の限られた裁判員裁判の中での情報提供ということに関して、いかに効率よく情報を伝えていくかというノウハウを、鑑定に携わる医師の間で蓄積していくことが必要なのかもしれません。

 

最後に医療が「受け皿」を整備すべきか、という問題に突き当たります。これについては現状で医療観察法をどのように評価しているか、という立場によっても大きく見解がわかれるところだと思います。自分は医療は原則として、刑期を終えた人の「受け皿」つまり生活の場を提供するべきではない、という立場を選びたいと思います。もちろん福祉によって提供される生活の場での暮らしを支えるための医療サービスの提供は、これまで以上に行っていくべきだと考えています。

 

この文章中、特に法律に関する部分などは、用語や概念の誤解、誤用などがあるかもしれません。気づかれた点があればご指摘をいただければと思います。