この年末になって、今年一度もブログに記事を投稿していないことに気づいて、慌てて記事を書いています。年末年始に読んでいただくにはあまりふさわしくない内容になってしまいましたが、ご容赦いただければと思います。よい気分のまま新年を迎えたい方には、年明けにお読みいただくことをお勧めしたいところです。
冷淡で非情緒的 (Callous unemotional) な子ども達
このエントリをまとめる一つのきっかけとなったのは、年末に American Journal of Psychiatry (AJP) というアメリカの精神医学会の機関紙に掲載された下記の論文です。
あえて日本語に訳すと「児童期早期の破壊的行動の神経発達的基盤:易刺激性と冷淡な表現形を例として」となるでしょうか。
このAJPのレビュー論文は同誌の出版175周年を記念して掲載されており、なんとも歴史を感じる代物なのですが、今後の精神医学、児童精神医学の一つの方向を指し示しているようにも思われます。この記事ではこの論文の内容をつまみ食いしながら、主に神経発達の障害としての子どもの冷淡さの問題を考えていきたいと思います。
現在、多くの精神疾患がヒトの「神経発達」に基盤を持つと考えられるようになってきました。破壊的行動 (disruptive behavior) は幼児期早期から見られることもある精神症状の一つですが、近年またその神経発達的な基盤に注目が集まっています。
破壊的行動を呈する代表的な疾患は素行症 (conduct disorder) と呼ばれていますが、今のところアメリカ精神医学会の示す診断基準である DSM-5 では、これは神経発達障害とは別のグループ(秩序破壊的・衝動制御・素行症群)になっています。一つ前の版である DSM-IV-TR までは、注意欠如・多動症 (ADHD)もこの中に含まれていましたが、現在の版では神経発達障害のグループに移されていることも示唆的です。
この素行症は読んで字のごとく、素行の問題をその症状としますが、その概要については、発達ナビの 記事 がわかりやすいかと思います。人や動物、財産などへの攻撃や、嘘をつくこと、ルールを破ることなどがその症状であるとされています。
幼児期から見られる素行症を考える場合、特に注目しておかねばならない特性として callous unemotional traits があります。これは1995年に Frick によって 提唱された概念 ですが、日本ではいまだ定訳と言える訳語がないように思います。冷淡な非情緒的特性と呼ばれたり、原語のままCU特性と呼ばれたりすることがあります。
DSM-5ではこれに関連するものとして、素行症の診断基準の中に、ある共通する特徴を示す子ども達を表す特定用語として「向社会的な情動が限られている (limited prosocial emotions) 」が採用されています。前掲の発達ナビの記事の中でも触れられていますが、これは「後悔または罪責感の欠如」「冷淡-共感の欠如」「自分の振る舞いを気にしない」「感情の浅薄さまたは欠如」のうち2項目以上を満たすことで特定されることになっています。
これまでに 幼児期や学齢期に測定されたCU特性が後の反社会的、犯罪行動を高度に予測したとの報告などが続いていて、その概念の有用性が認められつつあります。CU特性は成人のサイコパス特性と連続性があるものと考えられています。またこのCU特性は自閉スペクトラム症の特性と一見似ていますが、異なるものだと考えられています。*1
前述のAJPのレビューによると素行症の子どもの中でこのCU特性を持つとされるのは 25〜35% と考えられています。アメリカなどでは素行症が非常に多いため、CU特性を持つ子どもは全体の 2-4% にものぼることになります。
またCU特性に関しては中等度の高さを示す遺伝率*2が報告されています。さらには早期から反社会的行動を示す少年において、CU特性が見られる場合、その遺伝率が上昇するとする報告もあり、CU特性はかなり生得的なものであることがわかります。
こうしたCU特性と関連する特徴として、恐怖を示す表情の認知困難、恐怖への反応の乏しさ、視線の合いづらさなどが指摘されています。生物学的な背景として恐怖に対する扁桃体の反応の減少、オキシトシン関連の機能障害などが関連しているとも言われています。
CU特性を持つ子どもの育てにくさ
こうしたCUな特性を持った子どもの養育が難しいことは容易に想像できます。自分の行動を気にしない、あまり罪責感を感じないために、親が行動をコントロールすることも難しく、また恐怖に対する反応も弱いため、少々怒ったくらいでは行動を変えられません。徒労感もあるでしょうし、叱り方もより激しくなってしまいそうです。
またこうした冷淡さを示す子どもの養育者には「育て方」への批判の視線が向けられがちです。これもまた親たちの疲弊を招き、支援から遠ざかってしまうことのあるかもしれません。
子どものCU特性が親の養育行動を変化させたり、親の抑うつを引き起こしたりすることによる双方向的な悪循環ともいえる関係があることは、この研究やこちらのレビューなどでも指摘されており、CU特性を持つ子どもと家族の支援を考える上では、特に注目すべき点であると言えるでしょう。
Waller らは長期間のコホート研究から、1歳6ヶ月時点の母の攻撃性や共感性の低さが直接に、また2歳時点の養育の暖かさ (parental warmth) を介して間接的に、10-12歳児のCU特性(この研究では限定された向社会性)に影響するとしています。この研究では他に児の気質や母の近隣の環境も養育の暖かさを介して影響し、また母の抑うつは直接に、CU特性に影響するとされました。また社会的支援の乏しさも20歳時点の限定された向社会性に影響していたといいます。
こうした悪循環から子どもと養育者が逃れるためには、周囲からの支援が欠かせないものだと言えそうです。
CU特性を持つ子どもを見つけることに意味はあるのか
これまで述べてきたようにCU特性を持つ子どもはけして少なくはなく、またその養育はなかなか難しいものです。こうした子ども達の将来を少しでもよいものにするための支援が模索されています。
CU特性を考慮した治療に関する系統的レビューがようやく現れてきています。このレビューにおいては、CU特性の改善そのものを介入の目標とした7つの研究のうち4つで、その有効性が示されたとしています。それらは薬物療法、認知行動療法、アンガーマネージメント、ソーシャルスキルトレーニング、行動療法、家族療法などの要素を一つあるいは複数含んだものでした。治療そのものに関してはまだまだ手探りの状況ではありますが、研究は進みつつあると言って良いでしょう。
しかしそれ以上に大切なことは、幼児期から攻撃的行動を示す子ども、特にCU特性を持つ子ども達に早く気づくこと、その上で必要な支援を提供し、その気づきを社会的排除ではなく包摂に繋げていくための覚悟と工夫ということになるのでしょう。CU特性やそれと関連した攻撃的な行動が見られる子どもとその養育者は、ともすれば集団から排除されたり、参加を避けたりすることが増えるでしょう。それが予後の改善に繋がらないことは明らかです。
ただ現時点ではこのCU特性、あるいは「向社会的な情動が限られている」という特性に関して、育児支援や保育、教育の現場などに充分な知識が浸透している訳ではありません。このため特性があるということを伝えただけでは、(自閉スペクトラム症やADHDなどの場合以上に)適切な支援に結びつきにくい状況があります。
自分の診療ではCU特性の存在が疑われる場合でも、現時点では親御さんや一般の支援者にお伝えすることはしていません*3しかし「恐さ」によって行動を変えることが難しいなどの部分的な特性として説明をした上で、養育や行動を変えていくことに普通以上に人手が必要であり、罰による働きかけはその副作用が強くなりやすいことなどを説明しています。そして自分ができることとして、再診の間隔を短く設定する根拠の一つにしています。
親子の間の悪循環から一歩外にでるための手助けができるのか、またいつか誰かが取り返しのつかない被害を受けることを避けられるのか、そこは一つには充分な育児、保育、教育の資源が投入できるかどうかにかかっているのだと思います。
社会的成功者の中にはサイコパス特性を持った人が少なくないということが言われるようになってきていますし、医師としての生活の中ではそれを実感することも少なくありません……。
CUの特性はある状況では、周囲の人の情緒的な状況に左右されずに、冷静で的確な判断、行動を行うことに繋がるのかもしれません。うまく社会に包摂されたCU特性が実りのあるものになる可能性は充分に理解できます。
発達障害としてのCU特性
こうした構造はある意味でいわゆる発達障害の子どもの早期発見、早期介入と同じように見えます。
- 生得的な要素の強い脳機能の発達的な障害であること
- 養育に困難を伴い、環境との悪循環による増悪がみられること
- 特性を持っていてもその後の経過が良好であることも少なくないこと
こうした点に注目するとCU特性はある種の「発達障害」であるとも考えることができます。人生の早い時期から生じる素行の問題を一種の発達障害であるとするモデルは以前より提唱されており、少し前のレビューでも早期発症の素行の障害を「神経発達障害」と考えることができることが再確認されています。
今回のAJPのレビューはこうした従来の視点を更に掘り下げ、最近のトレンドであるディメンジョナルな評価や生物学的な研究とも絡めて、今後の研究や介入の方向性を示唆するものとなっています。このような観点からの研究や支援が、彼らのよりよい暮らしとともに、社会のリスク軽減にもつながる可能性を信じたいところです。
CU特性を社会的に包摂していくということは、自閉スペクトラム症やADHD、限局性学習症などの特性を包摂していくことよりも、より難しい課題であることは確かでしょう。これは発達障害支援に関わる人達に課された、次なる試練かもしれません。幸か不幸か、おそらくはこれまでに述べてきたのとは異なる理由からですが、日本の発達障害者支援法はすでに素行症(行為障害)をその対象に含んでいます。こうした一群の子ども達がいるということから目を背けず、必要な支援が受けられる状況が作られていくことを願ってやみません。
来年は今年よりも少しでも物事が前に進むことを期待して、筆をおきたいと思います。皆様よいお年をお迎えください。